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はじめて完全に酔っぱらった状態で日記を書くんですけど今日は昼から
バーを貸し切って牡蠣を貪るという暴挙に出て明日朝7時半から仕事が
あるはずの会社の元先輩(千葉県出身、終電逃し)が現在進行形で僕の
ベッドで寝ている(泥酔)という非常に面白い状態になっているのです。
ウォッカテキーララムといった大変濃度が高いお酒を何杯も煽った挙句
店先でオロオロ吐いて洋服を再起不能にした先輩が僕の大切な寝どこで
ガン寝というのは本当にもうヒヤヒヤ感しかないんですけどこれもまあ
一興かな、という、僕も僕でだいぶ酩酊していて判断力が鈍っている。
今のこの状況の文章のドライブ感は町田康や舞城王太郎にも勝るとも
劣らずな感じで結構いい線いってると思うんですけどあーもう芥川賞が
欲しいな。芋川は2012年芥川賞を狙います。おやすみなさい。
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あけましておめでとうございます。
年末年始はいろいろありまして長い間日記をサボり申しておりましたが
今から敢えてそのいろいろを思い出して書く気にはなりませんので
比較的充実していたこの週末についての箇条書きでもって、僕の近況を
お伝えしようと思います。・高校の同窓・新年会に出た
高校を卒業してから4年ぶりくらいに会う友達の大半が地方公務員に
なっていて、飲み会の場はさながら公務員近況報告会の様相を呈して
いました。サラリーマン代表の気分で臨んだけれど、一緒に参加した
彼女も幼稚園教諭で半ば公務員だったので、あれーと思いました。・彼女のお兄さんの彼女と会う
この度彼女のお兄さんがご結婚されるということでそのお相手と挨拶
がてら彼女のご家族とお昼ごはんをご一緒させていただきました。
この場に僕が居ていいのかな、とものすごく感じていたんですけども
このままいくと彼女のお兄さん夫妻は義兄・義姉になるわけなので
挨拶するのも早めがいい、と(彼女が言いました)。彼女の実の兄が
将来的に義理の兄になるのはまだ分かるけど、そのお嫁さんが義理の
姉になる、というのは全く違う次元から血縁者が現れる感じがして
日本の婚姻制度の不思議を肌で感じた次第。まあなんだかんだと言う
前に早く彼女と結婚しないといけない。・何気なく入ったカフェがガチのフレンチレストランだった
彼女とドライブする度に「あ、ここ、いい感じだねー」と言っていた
カフェっぽい建物に2人で夕飯を食べに入ったら、18時過ぎからは
ディナーコースしか出していないモノホンのフランス料理屋さんで、
メニューを開いた瞬間に2人で顔を見合せてしどろもどろになったの
でした。一番安いコースを頼んでサワラのカルパッチョだの天然イノ
シシのローストだのを食べてお店を出ました。美味しかったです。・10年ぶりくらいに映画ネバーエンディングストーリーを見た
ツタヤで借りました。小さい頃VHSをものすごい頻度で見ていた
記憶があるんですけど物語の詳細を全く覚えていなかったので改めて。
CG技術の限界からくるハリボテ特殊効果の温かみの真髄。無印の
「グレムリン」とかスターウォーズとか、80年代に作られたSF・
ファンタジー映画というのは、架空のモノなのに「そこに在る」と
いう感じがたまらないと思います(だってハリボテやぬいぐるみが
実際そこで動いている!)。CGだとどうしてもそこら辺の存在感が
希薄になってきてしまうのでね。はい。面白かったです。以上、今年もよろしくお願いします。
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ツイッターに何度投稿しても拒絶されるのでこちらに書きます。
8つ目の大罪としてブスを提唱したい、ブスが語感としてダメなら醜悪とか
それっぽいんじゃ?、みたいな酔っ払い丸出しツイートが反映されて、この
呟きがNG食らうのはちょっとどういうことなの、という心持ち。”
耳ざわりが良いって言葉を聞く度にどうにも違和感を覚える。言葉の意味と
しては「舌触り」的な方向を意図して発しているんだろうけど、どうしても
「耳障り」「目障り」の語感が先に想起されてしまう。ので、今後僕の前で
「耳ざわりが良い」って言いたくなった時は、単に「あーコレいい音〜」て
言って欲しい。
“…んですけども、「耳触りが良い」なんて言葉はそれを耳にするまで予期
できるものではないので、僕は毎回違和感を抱えています。毎回「おいそれ
変な感じがするから普通に良い音って言えよ」なんてことを言えるわけでも
なし、ストレスというものの本質はこういう違和感の積み重ねなんだろうな
と最近思い始めました。事前に予知して取り除けるものじゃないんだよね。
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寒い。
暖房をつけずに暖を取る方法はお風呂に入る、ご飯食べる、布団に入る、
の3つが有力なのですが、これは帰宅後サラリーマンの黄金三大行動
「飯風呂寝る」と奇妙な符合を見せており、僕はこの案件について今後
追跡調査が必要だと考えています。しかし寒いからといって何か食べて
ばかりでは脂肪がつく一方ですし、しずかちゃんのように日に何度も
シャワーを浴びていてはガス代で破産しますし、帰宅後早々床に就くと
いうのも人生の歩み方という側面から見てなんとなくNGな気がする、
ということで最近は折衷案としてお湯をせっせと沸かして飲んでいる。身体を中から温めることができローコスト・ローカロリーということで
我ながらナイスアイデアだと思ってるのですが、お湯のなみなみ入った
コップを目の前にすると「煮え湯を飲む」という言葉が脳裏をよぎって
その度なんか惨めな感じがして嫌なのでこれなんとかならないかな。
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ローソンのポイントでユニバーサルスタジオのクリスマス招待券を
当てました。懸賞モノにはめっぽう強いと自称する僕の伝説に新たな
ページが刻まれたわけですけど、最近この「僕は運がいい」という
自覚に対してちょっと疑念が生まれ始めています。もしかして僕は人より多く運試しをしてるんじゃないか、というのが
その疑念の出発点であり結論なんですけども、つまり試行回数が多い
せいで自然と成功回数も多くなって、成功の方が強く印象に残ってる
ために「幸運な経験が多くあった」=「僕は運がいい」と錯覚して
しまってるんじゃなかろうか、という。雑誌を適当に開いて狙ったページを出す、格ゲーのランダムキャラ
セレクトで持ちキャラを出す、麻雀で狙った牌をツモる、スクラッチ
くじをコンスタントに当てる、懸賞でモノを当てる、など「なんか
運持ってるなー」って自分で思ったことは枚挙に暇がありませんが
ただ覚えてないだけで僕は相当数のハズレを引いているはずなのです。でもなんか当てちゃったり出しちゃったりした時の衝撃が記憶に深く
刻み込まれていて「運がいいから当たるだろ」という自らの運への
過大評価も生まれ、どんどん運任せの傾向が強くなり、結果的にまた
運試しの試行回数が増える…という任天の螺旋が描かれている。たぶん本当に運のいい人は運任せの状況を作らないのです。
ギリギリのところを運でかわしてる僕みたいな人間は肝心なところで
大きなポカをやらかします。例えば、そう、留年とかね……。