走女礼賛


走ってる女の子を見るのが好きです。
といっても、マラソンやハードル走やサッカーなどのスポーツで
疾駆する女の子には特に興味は惹かれず、対象となるのは普通に
急いでる感じでそこら辺の道路を走っている女の子です。

遅刻しそうだとか、早く家に帰って美味しいもの食べたい!とか、
そういう切実さが「自分の足を速く動かす」という非常に単純な
動作に収束されていて、その姿に僕は美しさを感じます。

女の子のマジ走りはなかなか見ることができません。彼女たちの
中にある恥じらいが普段から本気走りを抑制しているからです。
しかしだからこそ、僕の眼にはその疾走がいつも新鮮に映ります。

おそらく女の子にとって、走れば汗をかくし、汗をかけば化粧も
崩れるし、何より走っている姿そのものが不格好であまり人には
見られたくないもののはずなのです。しかし、そうして考えられる
デメリットを一旦投げ打って、なりふり構わず目的地を目指す。

そこには並々ならぬ熱意と必死さがあります。走るという動作は
彼女たちの強固な意志の表れです。何としても、一刻も早く目的の
場所に着かなければ、という、内なる使命感の発露。それが、
女の子のマジ走りに輝きを与える最大にして唯一の要素なのです。

大きな荷物を抱え、時にかかとの高い靴で行く先を急ぐ女の子を
見ると、僕は心の中で声援を送らずには居られません。貴女の
意志、使命が、貴女の望む形で全うされますように。彼女たちの
揺れる背中に、僕はいつも静かに祈っているのです。

えー、だからその、女子諸君は、僕が必死で走ってる時にそんな
変な目で見ないでくれるかな、と思う。例えものすごく息が切れて
いても不審者を見るような眼で見てくるんじゃない。今朝起きたら
自転車の後輪がパンクしていたのです。僕は被害者なんだよ。