血は出てなかった


タンスの角に小指とか、自分に偶発的な災厄が降りかかったとき、僕は
よく「これってもしかしてあの時の報いかな」と思ってしまうのですが、
「報い」とか「罰(バチ)」の意識の裏には、「善いことをすればいつか
自分にもその善が返ってくる」、という「報酬」の意識があるんですね。

でも、なんというかその思考には、「報いは甘んじて受け入れてるしさ、
報酬もちょっとはちょうだいよ」みたいな、薄味のあさましさがある。

善行は率先してやっていけばいいし、悪行は悔い改めればいい。でも、
そこには「いつか」とか「あの時の」はないんだぜ、ってことを、常に
頭に入れておかないと、あーこれ運命だわ、どうしようもないわ無理、
みたいな下らない諦めに、縛られてちゃって動けなくなりそうだなあ。

あーでもコレちょっとマジ痛いちょう痛い、血とか出てない?ていうか
正直コレ何かの報いじゃないの?コレ自分でも気付かないうちに神様を
怒らせちゃったんじゃないの?みたいなことを、今朝、自転車で走行中
ガードレールに思いきり足をスラッシュした直後に僕は思いました。